※ファンの方が読んだらショックを受けるような、批判的な内容が書かれています。
ちょっとボロクソ言ってるように見えるかもしれないのですが、誹謗中傷とかがしたいわけでなく
真面目にゲームのことを考えた上での感想なので、あまり石を投げないでナナメ読みしてやってください。何卒お願いします。。
大丈夫だという方のみ、下スクロールで閲覧してください。
※『 』内は、ゲーム内のテキスト、資料集、取説その他からの引用部分です。
2007.5.25
■蔵人
2週目を終えた直後の感想としては、彼に関しては“疑問”が残るばかりで、あまり良い印象はなかった。
背景設定を頭に入れたうえで注意深く2週目をやって、理解や感情移入が深まるどころか逆に印象が悪くなったキャラクターというのは初めてだった。
中途半端に与えられたフュージョン能力の設定のせいで、あらゆる意味でどうしようもないキャラクター。
ゲーム中の描写を見る限りでは、この蔵人はスムーズな展開を優先するための“こじつけ”による被害を常にこうむっており、
そもそもなぜ里守り(国守り)の一族の人が一介の大陸浪人でしかないはずの川島浪速に付き従って護衛しているのかも判然とせず、
そのキャラとしての魅力とか持ち味以前の問題である。無意味な空洞があまりに大きすぎるキャラクターだ。
ゲーム中の彼の立ち回りにしてもそうだし、そもそも「主人公ウルの血縁者」としての設定ばかりが全面に押し出された“だけ”の
キャラ設定しか制作側が想定していなかった段階で、このキャラは死んでいたのだなと思った。
■立ち回り、ゲーム中での扱いに関して
立ち回りに関して具体的な所をあげれば・・・冷静に数えてみると蔵人は合計3回も川島親子と引き離されており、
ゲーム中で非の打ちどころなく独力で主人を守りきったことは一度として無い。(この時点ですでに印象が悪い)
『大丈夫です、僕がついてますから』とか『なに、お前がいるから大丈夫さ』
というような彼らの態度と、実際にゲーム中で起きた結果は、誰がどう見ても常に剥離しており、
ストーリーをテンポ良く消化していくための強引な展開のとばっちりをモロに受けている、という印象を持った。
つまり、危ないところをブランカに助太刀させるため、やむを得ない事情で蔵人をウル一行に加わらせるため等々・・・、
要するにストーリーを展開させるための何らかの“アクシデント”が必要になるわけだが、
そのアクシデントというのが、常に“蔵人が護衛をし損なう”(川島親子と引き離されてしまう)ことが発端なのだ。
しまいにはフュージョンしたまま暴走状態のようになり、ウル一行に叩きのめされようやく正気になった所で
『お前は俺達をおびきだすためのエサにされたんだよ(ウル)』ってなんじゃそりゃ??
散々“かませ”に使われているのにそれを挽回するようなシーンすら無いままギャグにばっか時間さいて、
なあなあでウル一行に加わってくるし、少なくとも私の場合は印象最悪であった。
フュージョンの使い手だということが発覚するシーンは特に酷い。
「こいつ暴走してるけど、大丈夫か?;」という印象にしかなっていない。格好良くもないし、何のカタルシスも無い。
MPゼロで登場させて散々引っ張っておいて、何なんだ?この終始ぱっとしない“あて馬”のような扱いは。
キャラクターが嫌いになるのを通り越して、そのバックにいる制作サイドへの怒りすら湧いてくる。
外人墓地での一連のやり取りにしろ、母親があそこまで強力な霊能者なのに、なんで『結界』って単語にすらピンときていないんだコイツは。
(その母親も元をたどれば“日向一族”の人だしな・・・)
というより、この蔵人は、会話の成り行きを誘導するための事務的な台詞
(例えば、「どうすればここから?」→「術者を見つけて締め上げる」という台詞をウルに言わせるための前振り役)
しか与えられていないことが非常に多いため、彼自身の個性やパーティーにおける役回りのようなものがまるで見えてこない。
制作側の、キャラクターを動かすにあたっての無神経さ、とりあえず主人公の周囲の設定を固め、
露骨なギャグで間を持たせながらサブキャラの扱いはうやむやに済ませ、
話の展開がテンポ良く進みさえすればいいという制作態度には、厳しい目を向けざるを得ない。
これじゃあキャラクターが可哀想だ。蔵人は一体なんのために登場してきたんだ?単なる“血縁者ネタ”のためにか?
■キャラクター像に関して
そもそも、『蔵人』はどういった成り立ちのキャラクターなのか。
設定資料集での監督のコメントによれば、蔵人のキャラクター像を決定付けた元々のコンセプトは以下である。
『王道・正統派主人公』 『純粋無垢・正義に生きる少年剣士』
『俗に言う正統派の主人公をこの作品に加えてみよう。
しかも日本人で美少年。性格も壊れてなく、かっこいいと思われるタイプ。』
彼はウル一行の中にあって唯一けがれを知らない、実は従来型RPGのヒーローとして作られたキャラクターだったのだ。
しかし、どちらかと言えば性格は『王道・正統派』 『純粋無垢』というより生真面目、味気ない、もうひと捻り足りない。
古き良き王道主人公のパワーやオーラを少しも感じない。よって、
「型破り、王道ずれした主人公」であるウルとの対比にもなっていない。
設定資料集での監督のコメントから類推するに、このキャラが秘めたポテンシャルは相当なものが有ったと思うんだが
そのコンセプトを生かすための効果的な立ち回りが無い。
ウル一行の明らかに常軌を逸した言動に対して、彼は何も突っ込まないし、“正統派の意見”を言わない。
ただ一緒になって「そうでしょうか・・・」とか言いながら流されているだけなのである。
『闘志を内に秘めるタイプ』とか言われてもそんなのゲーム中から汲み取れないし、
パーソナル画面の紹介欄にある『炭火のごとき静かな闘志』って相当カッコいいんだが
どうにもこうにもゲーム中の彼の言動に結びついてこないのが致命的。
それでいて“抜き”感の全く無いキャラクターに仕上がってしまっているので
印象は薄いわスカしてるわで、せっかくのキャラクターが台無し。
(印象が薄いというかあまり目立たないおかげで、スカしてるのが嫌味ではないのが不幸中の幸いというべきか)
蔵人のコンセプトは「普通であることが逆に個性になっている」ようでなきゃ意味が無いわけで、
他のキャラとの絡みがなければ、単体では個性を発揮できない。
しかし蔵人は「ゲーム後半から登場」というのが致命的な足枷となってパーティーメンバー同士の絡みにほとんど参加できていない。
この上、彼は前半に起きた事件に立ち会っていないわけだから、アナスタシアの背景を象徴する重要な場面も一切目の当たりにしていない。
このことは、彼とアナスタシアの仲が一向に進展しないまま意味不明かつ唐突なラストに突入してしまった最大の原因でもあると思う。
要するに、アナスタシアがただ彼(の顔)に一目惚れしてまとわりつくに終始しているだけのカップルで、底が浅い。
もっと絡みが有るものと期待してゲームを進めていただけに、最後は肩透かしを食らってしまった。
■アナスタシアとの絡みに関して
私には、蔵人は人がよくて(はっきり断ったり否定したりするのが下手なタチで)年下のアナスタシアの幼い行動を
嫌とも言わず、嬉しいとも言わず、ただ受け流しているだけのように見えた。
隠しダンジョン発生のイベントも、危険な場所だというのに他のメンバーが全く乗り気でなく、
しまいにアナスタシアが『いいわよ、一人で行くから!』とか言いだしたのを見かねて
『僕がお供しますよ』と言ってくれた、
いわゆる“お人よし”のキャラクターなんだなという程度の印象しか受けなかった。
だから彼は、アナスタシアの過剰反応に照れるわけではなく『;』と困って(引いて)いたし、
ウルに何を言われようが『はあ。』で終了なんだろうな、と思った。それだけならまだいいが、酷いのは
ウル 『おまえ、ロシア狙ってるだろ。マジで。』
蔵人 『 ; (台詞なし)』
冗談(ギャグ)にしてもハッキリ否定しとけよ。マジで笑えない。
蔵人の反応は、周囲の過激な反応に困っているだけなのか、(まさかと思うが)図星で「;」なのか何なのか
本当にハッキリしないし判然としない。
むしろ、ここでもし仮に蔵人が「はァ?(こいついい加減にしろよ)」みたいに
多少なりともウルに対して怒ったとしたら、短い台詞と場面の中でアナスタシアへの好意を描写することも可能だったと思う。
というか、好きな女の子に好意を示したのを指して「実は彼女の金が目当てなんだろ(下心で親切にしてるんだろ)」みたいに言われたとしたら
真面目で冗談の通じない人間ほど本気で怒ると思うんだが。違うのか?私なら殴るぞ。
極めつけに、アナスタシアが蔵人の「許嫁」になるイベントなど、本人をそっちのけで咲とアナスタシアが
勝手に話を進めているだけである。これが単なるドタバタのギャグコメ・ラブコメ話ならば純粋に笑えもするだろうが、
最初に咲自身の口から語られた
『古くから影で国を護る家系があるの。日向も犬神もその一族。』という仰々しい説明が完全に悪目立ちしている。
しかも『一族には、それぞれ特殊な力が伝わる。』とまで言われている血筋に
ロシア人の血(別の家系の血)を入れることに対し、自身の結婚もそうだったからなのか、“現頭首”である咲が無自覚かつ無邪気すぎる。
『この世を守るために与えられた血の力』とやらを維持する気はあるのだろうか。
こうした真面目な背景設定と、その設定を背負ったキャラクターのゲーム中での扱いに全く整合性が無いというのが、
この蔵人のキャラクターとしての魅力や説得力、さらには蔵人とアナスタシアの『微笑ましい』絡みにも、
暗い影を落としているように思えてならない。
このテキトーさは制作側のサブキャラに対する不真面目な制作態度を反映するもので、
「フィクションだからその辺りは突っ込まないでね」で済むレベルを逸脱している。
すごく個人的な想像というか希望のようなものとしては、2人はあのまま元の時代に還って、いったんそれぞれの故郷に帰り、
20歳になった蔵人が1918年ロシアのイパチェフ館に単身殴りこんで
軟禁中のロマノフ一家を救出するくらいのオチがないと、このカップルはカップルとして成立しえないと思う。
■蔵人をとりまく設定の数々
本編を見ても、『日向一族の血を引いている』という設定が前に押し出されるばかりで蔵人自身のキャラクター性は皆無であったし
「犬神家」の存在意義そのものがよく分からないので彼の背景自体に深みが無い。
ただそこに隠れ里が有って、その里を守り継いでいる一族です。終了。
しかしその一方で、ゲーム中では『古くから影で国を護る家系』で、『日向も犬神もその一族』であり、
『他にも、まだいくつかある』『一族には、それぞれ特殊な力が伝わる。』とまで説明されている。
こうなってくると、単なる山奥の里守りの一族に咲が嫁いできたことによって、その血に不思議な力が宿った・・・というよりは、
もともと犬神家にも日向の血とは関係の無いなんらかの能力が伝わっていなければ矛盾が生じることになる。
咲が嫁いだことで犬神家が『その一族』に加わった・・・という解釈はいくらなんでも無理があるし、嫁がれた方がいい迷惑、
会話の流れとしても不自然だ。にも関わらず、犬神という一族について突っ込んだ内容は一切無い。
ゲーム中に提示される状況としては、「犬神の・・・」と名前の付いた土地なのに、
現頭首は日向から嫁いできた元々「犬神」の姓とは全然関係ない女性で、
しかもその跡目の息子(若、つまり時期頭首)は日向の代名詞・フュージョン(降魔化身術)の使い手。
・・・これらの事実だけを追っていくと、「犬神」という一族が完全に日向の血に乗っ取られているようにしか解釈できない。
蔵人が成人するまでの間の“頭首代理”と名乗るのが筋だろうに、
しかもその大切な跡取りの一人息子が用心棒(しかも先代頭首の妻の知り合いってだけの人の)とか、
この雑さ、テキトーさはちょっと、フィクションだからとかそういうレベルを逸脱しているような気がする。
フィクションとしてのリアルさをみじんこも感じない。
ただただつじつまだけを合わせて都合のいい設定を作っていった結果、
明らかに不自然で意味不明な「犬神の里」の状態が作中に提示されるのみである。
(これと全く同じことが、蔵人と川島浪速の関係にも言える)
設定資料集の中に『甚八郎の性格は→蔵人へ、咲の性格は→ウルへ』
という記述を見つけた時はさすがに笑ったな・・・。要するに犬神なんて家のことはハナっから考えておらず、
ただ「日向一族の血を引いていてフュージョンが使える日本人」という設定をやりたかっただけのキャラだということが透けて見える。
そのコンセプト自体は決して悪くないが、“ただそれだけ”のキャラで終わっているのが問題だ。
『蔵人の籠目を解け』とかいうあのイベントだって、結局あれは融合者(ハーモニクサー)としての試練じゃないのか?
蔵人の父親も実は融合者でしたとかならまだ分かるが、公式サイト(新しい方)のキャラ紹介を見ると
『蔵人の母である咲はウルの父親である日向甚八郎の妹であり、
蔵人とウルは親戚にあたる。
そのため、ウルと同様にフュージョン能力(降魔化身術)を持ち・・・(中略)』
と、ハッキリ書かれている。
つまり彼の能力は“設定”のレベルでも「母親である咲からの遺伝」という以外になく、ゲーム中でもそれしか説明されていない。
完全に“日向一族の血”に依存していることになる。
にも関わらず、咲は「旦那様(蔵人の父親)が夢枕に立って、蔵人の籠目を解くように言った」とか
「掟に従い蔵人に試練を与えなければならない」等と、さも犬神の一族に代々伝わる習わしであるかのような意味深な発言をする。
(というか、実際そういう意味で言わせてしまったんだろうな・・・『若き犬神の頭首として』という最後の会話の流れからして)
「犬神」という一族の背景を全く無視したまま、いたずらに取って付けたような設定が会話の中に
ぽんぽん出てくるだけなので、この一連の狩天童子取得のイベント自体が、本当に取って付けたような印象しかない。
『父さま、母さまの子です!』なんて台詞を蔵人が言ったところで何の重みも無い。ただ虚しく響くだけである。
ストーリーの“きも”としては、母親(咲)の存在はどちらかというと“主人公ウルの叔母”(日向大佐の妹)という意味合いの方が強く、
特に母子の絆が強調されるわけでもなく、父親に至ってはゲーム中に登場してすらいないこの蔵人に、よくもこんな台詞を言わせたものだ。
非常に悪い意味でのウルとの対比になってしまっている。
結局のところ、こういった血縁に関する設定とゲーム中の描写とをすり合わせて見ていく限りでは実質、
咲の言う『この世を護るために与えられた血の力』
というのは日向一族の融合術(降魔化身術、フュージョン)の力を指してのことで、
犬神家はそれの単なる受け皿。これは品性を疑われる表現かもしれないがあえて言うとすれば、
とどのつまり犬神家というのは、「日向の遺伝子」を持った女性に精子とY染色体を提供しただけ・・・・・
という風にしか見えないのだ。もちろん、制作側にそうした意図は無いだろうが・・・。
サブキャラの描写ばかりに時間を取れないのは分かるが、最低限の設定くらいはきちんとしているべきだと思う。
(犬神なんて名前にせず、最初から父親が「日向大佐の弟」ということにして、きっちり「日向一族の分家」として登場させるとか)
というか、制作側は深く考えていないんだろうな・・・ここまでくると。
蔵人を取り巻くこうした設定の数々は、とりわけズサンさが目立つ。ここまで雑で適当な扱いをされているRPGのキャラクターというのは初めて見た。
そして、そのことに制作者自身が無邪気、無自覚すぎるのが、私には許し難い。
加えて、あの狩天童子が“蔵人の本当の姿”というのもピンとこない。
取得後の会話の内容からすると、要するに蔵人は、大人しそうではあるがそれは理性と建前によるもので、
破壊衝動のようなものを常に腹の底に抱いていることになる。
そして、本来ならその衝動をいかに抑えられるようになるかという部分が成長の見せどころなわけだが、
蔵人のイベントはここで終了。取得して取得しっぱなしだ。
この蔵人の“成長”というのは、実はゲーム中に描かれたことは一度も無い。
あまつさえ、咲のような抵抗の様子が描かれるわけでもなく敵の罠に落ちて、
自分の意志とは関係なく月黄泉とフュージョンしウル一行に襲いかかってくるような、
明らかに若くて経験の浅い、自己統制力の無いハーモニクサーであることが、すでに露呈している。
こうした登場初期からの扱いを経て、終盤になってからいきなり隠しフュージョンのイベントが来る。
よって制作側が言うところの、蔵人の“可能性”や“のびしろ”というのがゲーム中から汲み取れないため、
最終的には「(蔵人はたったの2体だが)あれだけ多くのモンスターを従えて抑えてるウル凄すぎだろ」という結論が自然と導かれてしまい、
蔵人がウルの引き立て役であるような印象すら受けた。というより、設定資料集などに
『ウルと同じように魔物と融合する能力を持っているが、その種類はウルよりも圧倒的に少ない。』
『まんまウルのフュージョンだが、その種類は圧倒的に少ない。』
などと言われなくても分かるようなことがわざわざ書かれてあり、
そのくだらない、差別化すらもマトモに出来てない“数が少ないだけのまんまフュージョン”
を蔵人に与えてGoサインを出したのはどこのどいつだ??
と、制作者自身に問いかけたい。
■蔵人の個性
監督が想定していた蔵人のコンセプト、「変態集団の中にあえてベタベタな主人公キャラを投下してみた」を
もっと効果的に脚本に反映できていたなら、彼はまさに主役級の輝きを放つキャラクターにもなれたかもしれない。
「あえての王道主人公」というコンセプトを生かすためには、「型破りの主人公」であるウルとの具体的な対比を
もっと考えるべきだった。キャラ同士の掛け合いの中でこそ、ウルと蔵人の対比も際立ったと思う。
監督は『血縁というのも両者の対比を表わすいい材料でしたし』って言うけれどね・・・
キャラの個性を十分に表現できてない所に設定ばっか持ってきたって、そんなもの無いのと同じだ。
私にはむしろ『血縁』という美味しい設定をやるための『材料』にされたのが蔵人であるように見える時があった。
しかも蔵人はウルに比べるとあまりにぱっとしない扱いを終始受けているために、
この両者は、蔵人の方にとっては非常に悪い意味での『対比』になってしまっている。
そもそも蔵人には、他のキャラとの絡みや対比で重要になってくる、その個性が無い。
キャラクターとしても、バトルユニットとしても、ビジュアルも含めた演出と性能の両面から造形が甘すぎる。
終盤で仲間になるキャラだけあり、ビジュアルは良く作られていて分かりやすいパラメータを持っているが、
一番最初に出てきた時に彼が持っている西洋剣のような派手でナンセンスな鍔の日本刀
(なんで普通の丸い形にしないんだ・・・?)や
「チェスト!」と叫びながら「突き」を繰り出すふざけた演出のせいで台無し。
ていうかね、「チェスト」の掛け声で有名なのは、示現流(もしくは薬丸自顕流)なんですよ・・・^^
(フィクションの中で広まっただけで、実際に「チェスト」と叫ぶ流派は多分無いと思うが)
そりゃあ、蔵人のような真面目キャラがバトルでいきなりチェスト!なんて言い出したら確かにウケることはウケるだろうが、
そういうギャグをやりたいなら『無外流を修めた剣の達人』
なんて設定は無くせばいいと思う。最初から「示現流を修めた剣の達人」という設定にしておけばよかったのに、
何を考えてキャラクターを作っているのか。制作側の無神経かつ考えなしのキャラ造形が、こうした細かい部分からも浮き彫りなっている。
下手な声優の発声ともあいまって、あの「チェストォ!」だけは個人的に肌に合わなかった。
■特技の差別化
蔵人は、普段の会話で目立たない代わりにバトルで圧倒的な存在感を発揮できるキャラクターであったかというと
別にそういうわけでもなかった。
目につく個性らしい個性が「やたら物理攻撃力が高いこと」ぐらいで、単純に“華”が無いのである。
特技の降魔化身術が完全にウルと被ってしまっているうえ、両者の違いといえば蔵人のモンスターの数の少なさが目立つばかりで、
それをモンスターの性能で補えるだけのスペックや凡庸性、目新しさも無い。
これは誹謗中傷にかなり近い表現なので気が引けるが、特技においては“劣化版ウル”でしかない・・・というのが致命的であった。
紋章が使えないのも、ウルはフュージョンモンスターの属性攻撃でそれを補えるが、蔵人はそうはいかない。
普段の戦闘で蔵人にわざわざ降魔化身術を使わせる必要性が感じられないのだ。(ただの物理攻撃で普通に倒せるから)
プレイ時間の半数を占めるザコ戦闘で彼の個性を感じ取ることが出来ないので、バトルにおいてもやはり彼の印象は薄い。
しかし「フュージョン」は主人公であるウルのシンボルともいうべき特技であり、
このゲームにおいてはジャッジメントリングに並ぶバトルシステムの目玉である。
これを、2からのぽっと出の血縁設定キャラにそうそう主人公と同じレベルで使わせられるわけがない。それは分かる。
そもそもウルのフュージョンモンスターだけで容量いっぱいな所を、蔵人にも隠しフュージョンがきちんと用意されているだけでマシというものだ。
制作側の努力はそれなりにうかがえる。
しかし、それならそれで何かオリジナル(ウル)とは違う他のもの(別の特技とか)で補うか、
その容量も足りないならせめてフュージョン能力の性能(モンスターの持っている特技)そのものを住み分けして差別化するしかない。
しかし、蔵人にはそのモンスターを取得する過程・グレイヴヤードすら無いばかりか、そうした差別化の配慮すらほとんど見当たらなかった。
製作者によれば蔵人は攻撃の選択肢をわざと狭めて
『産まれたてだけど、先々に可能性を感じさせるようなイメージ』にしてあるそうだが、
それは方便であるようにしか感じなかった。蔵人のイメージ作りのためというよりも、
彼は攻撃面のパラメータがかなり高めに設定された、いわゆる“短期決戦型”のキャラなので、選択肢は狭めておかないとゲームバランスが崩れるんだろう。
また、彼が狩天童子を取得したのは元々有った“籠目”という封印を解いたからであって、
前作ウルのように無数のモンスターの魂を生み出し、それを取得していく可能性が示唆されたわけでもない。
母親・咲のような強い霊感を持っているようにも見えないし、
終盤のイベントが終わった時点で蔵人の伸びしろは全て出しきられたような印象である。
『先々に可能性』というか、「彼は里を継いで頭首になって、将来的には咲が隠居することになるんだろうな」程度の想像で終わるプレイヤーが大半だと思う。
■その他
なんで『犬神』なんていかにもイワク有り気な名前にしたんだろう。
前作では「怨霊」だの「怨念」だの「悪意」だの「人の恨みにとり殺される」だのと禍々しい要素がゾロゾロ出ているし、
2で『犬神』なんて名前のやつが出てきてフュージョンまで使えるときてるから
最初はてっきり四国・九州の犬神憑き(犬神筋)の一族かと思った。
しかも設定でわざわざ強調されている「無外流」は、土佐藩(現四国の高知)に伝わっていたと言われる流派である。
そしてフュージョンの希少性や神秘性は2でガタ落ちしたと思う。これが本当に残念でならない。
前作での降魔化身術(融合術)の扱いを考えれば、主人公でもラスボスでもなんでもないただのサブキャラにそれを与えると決めた時点で、
ある程度の掘り下げの必要性を考えるべきだった。咲なんて論外。このキャラがフュージョンを使える設定にする必要性なんて無かったと思う。
適当なキャラに使わせるくらいならば、フュージョンの使い手はウル一人で充分。はっきり言って蔵人は、キャラの個性が設定負け、能力負けしている。
性格真面目は真面目でいいから、「最初からクライマックス」ぐらいの気迫は持たせないと話にならん。
この辺変えたらまた違った印象のキャラになると思うんだけどな蔵人は。
蔵人は、非常に良いキャラ(コンセプトと衣装の配色が)だっただけに、細かい要素も含めてもったいない部分が多い。
設定資料集で語っていたように監督にその気が有るなら、
『(蔵人を)いつか縦横無尽に暴れさせてみたいと思っています。
それまでは、ファンのみなさんの想像に活躍の場はお任せしておきます。』
という、その構想が実現することを期待せざるを得ない。
その時は、本当の彼自身のキャラクター性を確立させてほしいところである。
追記:
2008.8.8
蔵人が「無外流の達人」という設定なのは、単に監督が時代劇ファンだからなんじゃないかと最近になって気が付いた。
「剣客商売」や「雨あがる」といった時代もの有名作品の主人公が、いずれも無外流の達人なのである。
設定資料集のアンケートの項で「今後作ってみたいゲームのジャンルは何か」という問いに対しての監督の答えは
「時代劇RPG。実は構想も舞台背景もキャラ設定も出来あがっている」というものだった。
この時代劇RPGの主人公の顔を拝める日が来ることを、私は熱望してやまない。
今にして思えば、最初は単なる悪印象と嫌悪と制作サイドへの反感しか感じなかった蔵人、咲、川島浪速というキャラクター達だったが、
これが私の中でプラス方向の不満に変わっていったことで、長編小説を書き始める趣味の原動力となったのかもしれない?
■ブラウザバックでお戻りください。。